ゲームの楽しさとシステムの楽しさ
さて、トビーさんにリクエストを受けたので。
これを話すにはまずダブルクロスのファンを
敵に回さねばならない。
というと構えすぎかもしれないが。
というのもあのゲーム、実は僕がやってみて
楽しくなかったシステムの上位五指にはいるのである。
ここで誤解しないでほしいのはゲームが
つまらなかったわけではないこと。
あくまでシステム面で
好きになれなかったところがあるということだ。
ではなぜか、というと単純に侵食値システム
が何のためについているのかわからないのである。
ダブルクロスというシステムの、
肝となるシステムであるにもかかわらず、だ。
たとえば同じくデメリット的数値が少しずつ
重なっていく系のゲームでは『クトゥルフの呼び声』があるが、
それは「狂気に近づきつつ、真相に入り込んでいく」
ゲーム・コンセプトにぴたりと合っている。
逆でいえば『カオスフレア』のフレアシステムは、
「協力しながら強大な敵を打倒する」という、
ゲームの醍醐味にしっかり貢献している。
ではダブルクロスはどうだろうか?
侵食値というゲームの肝となるシステムが、
ダブルクロスが持つ
「ダークヒーローが絆を頼りに生きていく」
というところと合致し、作用しているだろうか。
ズレている。
少なくとも上の事例と比較して、
合致しているとはいいがたい。
もしダブルクロスが
「運で左右される浸食値にやきもきする」
ないしは
「浸食値にそったロールプレイをして楽しむ」
というコンセプトならば、納得できる。
しかし、このシステムはそういう一種の
「泥臭い」遊び方をするコンセプトを
意図しているとは思えないし、むしろ上記の
「ダークヒーローが絆を頼りに生きる」
部分をダイス運だけで
崩壊させてしまう危険性すら秘めている。
このシステムをいかにゲームを楽しむために利用するか、
イマイチピンと来なかった。
それがあまり楽しめなかった理由だろうと考える。
システムの楽しみどころとゲームシステムの差異。
ここがスマートであるかどうかは、好みの問題だろう。
繰り返すが、これはダブルクロスを楽しんでいる人を否定するわけではない。
ただ、ゲームの楽しさとシステムの楽しさは
近いようで別モノであり、そこにスポットライトを当てると
ダブルクロスというシステムはいびつに見える。
そのいびつさは一度気になり始めると、
頭から離れない妙な居心地のわるさを残し続けることは
僕の中では確かな事実である。
・ちなみに
ほかにシステム面で気になったゲーム5指の残り。
『TORG』:ダイス目を達成値に変える意図がわからなかった。
差分の区分けが面倒くさいかもしれないが、
あえて別に表を作るまでのことではないだろう。
『ソードワールド』:やはりレーティング表を作る必要性が気になる。
『天羅WAR』:複雑なシステムを複合させる理由がわからない。
『ファンタズム・アドヴェンチャー』:キャラメイク。もはや一周して面白い。
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コメント
ほーい、疑問とか難癖を付けに来たぜー。
DXやDX2ndに関しては、こちらもあまりやりこんでいないので認識のずれはあるかもしれないけれど、「ダークヒーローが絆を頼りに生きていく」ってのは、そもそもコンセプトが違うんではないかなー?
というのが俺の感想。
ここでダークヒーローという単語をどう扱っているかでずれがでちゃうかもしれないんだけど、「暴走する危険性のある巨大な力を持ったキャラクター」という意味で使ってる?
それとも「ダークなイメージのあるちょっと悪漢っぽいキャラクター(悪漢じゃないけどバットマンやパニッシャー等)」のことなのかな?
後者だったら俺の言ってることがずれてるかも。
ダブルクロスにおいて、多くのキャラクターは「日常を守るため」に非日常へ狩りだされて行くし、異能力を持たない一般人の友人などに、自分が異能力を持つことを知られて関係が壊れる、といった、いわゆる正体ばれシチュエーションも設定されている。(最近は多いのかわからないけど、リプレイシリーズ「エクソダス」の1巻で使われてる)
この辺で「一般人と異能力者の関わり」を一切出さない(あるいは「記憶消すからどーでもいいYO」)で超能力バトルをやっていると、T君の行っているような感覚を受けるんではないかと思いますよ。
元々参考文献に「ワイルド・カード」のシリーズが入っているくらいアメコミのネタが参考にされているようなので、異能力者(ゲーム内ではオーヴァード)と社会との関わりなどは割とかっちり設定が決まっています。
UGNが存在を隠す側、FHが存在を明らかにして支配しようと試みる側というのは、「X-MEN」における「天恵の子等の学園(プロフェッサーX側)」と「ブラザーフッド・オブ・イビル・ミュータンツ(マグニートー側)」の対立に近いと思いますよん。
で、侵食値は上昇するごとに「力が強くなるけど人間性が下がる(暴走の危険がでる)」という物。
シナリオの最後にはほぼ100%を越えているであろうこの侵食値を日常側に引き戻せるのは、あくまでも「日常との絆」である「ロイス」なんですよ、というのがこのシステムのテーマなんではねーかと。
まぁ、「敵にロイス結んで即座にタイタスにしてヒーローポイントとして利用」という非常にゲーム的な使い方が頻繁に使われているので、設定的な部分とシステムの実運用で乖離が無いかといわれると、それはその通り。
でも、それは遊び方の一つであって、システムの問題なのかといわれると悩ましいなぁ。(リプレイなどでもこういう使い方はされているので、公式がこのような遊び方を推奨していると言えなくもないかな)
というわけで、だらだら書いてみたけど言いたい事は
「君の疑問はシステムとコンセプトのずれなんだとおもうけど、システムにあったコンセプトもあって、それを使っていないだけなのではないかな?」
ということ。
ただ、システムとしてのDX(特に2nd)は、投稿サプリメント『アウトランド』以降、様々な遊び方を許容するようになっているので、基本のコンセプトを使っていない、「なんかスゲー超人がすごいワザで戦う」ことをコンセプトにしたものも多く存在するのも事実かな。
そういう意味では田中天さんのリプレイシリーズ「トワイライト」は、ロイスの重さというものを明確に軽い扱いにして書いてるねー。(確かあとがきで明言していた気がする)
蛇足だけど、TORGのダイス目→達成値は「小さなものから破天荒に大きなものまでを単一の表で処理するため」に作られているのですよ。
アレのおかげでグーのパンチダメージも太陽が直撃したダメージもD20を数回振るだけで算出できる。
戦闘でも説得でも、一元管理できるってのは楽だと思わない?
ダイススケールを変えて、「パンチは1D6、核爆弾は1000D6」とか言われても1000Dも振って疲れるでしょ?ってこと。(T&Tっぽく楽しいかも知れないけど、まさにそれはTORGというゲームのコンセプトではないよね)
逆に、「対人戦ダメージ」と「対乗り物ダメージ」にダメージ種別を分けて……とやっていると、複数の世界、複数の攻撃手段を持つキャラクターがごちゃ混ぜになっているTORGの世界においてはとても判定が煩雑になったり、特定世界のキャラクターがあっという間に「詰み」になったりしかねない。
というわけで、TORGに関しては「多分こういう意図でやってるんだよー」と言っておくぜー。
投稿: 暗転丸(長文注意) | 2008年12月18日 (木) 01時49分
TRPGだからGMとPLの演出次第で印象は変わるだろうけど、
ここではルールに記載されてる範囲で意見を述べるよ。
>侵食値システム
侵食率をシステム化することによって、
PLに危機感を意識させて、ロイス(絆)の大切さを
意識させるギミックだとは思わない?
例えば、アルシャードガイアだと、
“日常と非日常の境界”はルールでシステム化されているものじゃないから、
PCが人間離れした特技を身につけていっても、
簡単に日常に帰ってこれちゃう印象を与えるのよ。
んで、それを意識した瞬間、急に日常の価値が下がるんだよね。
だけど、ダブルクロスだと
“日常”を守るために“非日常”と戦おうとすると、
自分自身も“非日常”に近い存在に変化してしまうという危険を冒さなくてはならない。
そんな危険を冒して守った日常に
なんの価値も感じないということがあるのかな?
しかも、ロイス(絆)というシステムによって
個人個人の“守りたい日常”というたいへん漠然としたものを
明確化しているよね。
GMにしろ、PLにしろこれは大変ありがたいよ。
Tくんの文章で気になるのは侵食率システムには触れていても、
ロイスシステムについては触れていないこと。
基本的にこの二つのシステムは対になってるから
どちらか片方のみを言及することに
あんまり意味は無いんじゃないかな?
冒頭の繰り返しになるけど、
TRPGだから遊んだGMやPLによって
大分ゲームの印象も変わると思うよ。
Tくんが何回GMをやって、何回PLをやって
誰と遊んだか、誰から説明を受けたかは知らないけど、
個人的にはダブルクロスが
「ダークヒーローが絆を頼りに生きていく」
というコンセプトに外れているようには思えないな。
(もちろん暗転丸さんのおっしゃるとおりダークヒーローの定義によるけど)
まあ、俺と面白いセッションを10回ぐらい遊んだら、
印象変わるかも知れないよー☆
と言うわけで遊ぼうぜーw
投稿: DーONE | 2008年12月18日 (木) 13時37分
ファンダズムアドベンチャーおもしろいよね!キャラメイク!
投稿: hodchi | 2008年12月18日 (木) 23時30分
まず全体として。
これはある程度制作側に立った意見と
解釈していただきたいです。
遊ぶ側がどう遊ぶかはそれこそ自由だと思います。
ただダブルクロスというゲームを作るにあたり、
「楽しませたいコンセプト」
は必ず存在するはずです。
そして通常考える場合は、
その次にシステムが制作されるはずです。
というわけで、
「このコンセプトを表現する為に、
このシステムが適と言えるか否か」
が僕が疑問として上げている点となります。
この点は再提示させていただきたく存じます。
●暗転丸さん
ダークヒーローの扱いは前者でOKです。
ただ上記の観点から申しますと
>システムにあったコンセプトもあって、
>それを使っていないだけなのではないかな?
とおっしゃるということは、
システムが先にあって、それにコンセプトを後付けしたのがダブルクロスというゲームということでしょうか?
それが僕が「いびつに見える」といっていることと=だと思います。遊ぶ目的と遊ぶ方法の順が逆だと思うのですがどうでしょう?
クトゥルフは「狂気に陥るゲームを作る」→「正気度システム」
カオスフレアは「協力して強敵に立ち向かうゲームを作る」→「フレアシステム」
ダブルクロスは「????をするゲームを作る」→「侵食値とロイスシステム」
????の部分を僕は「ダークヒーローが絆を頼りに生きるゲーム」と解釈しております。なのでロイスの存在は否定に加えていません。
(このコンセプトが違うとおっしゃっているなら、是非暗転丸さんの考えるダブルクロスの制作コンセプトを教えて欲しいですね。一応ウィキペディアなどでの、近いニュアンスのものを書いたつもりですが)
ただ侵食値のシステムが必ずしも適か?といわれれば「違う」と思います。狂気に近づけば狂気に陥るクトゥルフと違い、ダブルクロスはシーンに登場するだけで侵食値が上がります。日常シーンだとしてもランダムに、です。
確かにPLの尻に火はつくでしょうが、それが「ダブルクロスの表現したい遊び方」=コンセプトを潰しているように感じたのですがいかがでしょう。
また、シーンに入るたびに数値を気にしなければならない点はロールプレイ重視のゲームであるならなおさら、欠点となる部分なのでは?
>TORG
これはこちらの言葉が足りなかったですね。
ただのダイスという意味でなく振る20面ダイスの数値をあえて達成値に置き換える理由が気になるのです。
なぜなら、TORGのメインとなりうる偉業カードの指標はダイス目が基準だからです。
ダメージを出す部分がネックですが、目の比較にしたほうがスマートなゲームなのでは? というのがずっと引っかかっているのですよ。
●Dさん
暗転丸さんのレスでも書いたとおり、緊張感を無駄に煽ることはできますが、何をやっても上がる侵食値と、それを気にしなければいけないという思考中断は、「ダブルクロスの表現したい遊び方」=コンセプトからすると適ではないと思います。
例えば、なれた人は平気でしょうが、「他のシーンで動きすぎ、重要NPCが居るシーンに出られない」
「結局エンディングで、やりたかった日常を取り戻せない」
ということは十分ありえるでしょう。
救済措置はあるとはいえ、面白さを潰す可能性を秘めたシステムが、最適だとは僕には思えません。
クトゥルフの正気度のように、
「異能を使う」「異能に触れる」「敵と遭遇する」
などシナリオ中のきっかけで上昇するのであれば、話へ深入りしていく感覚も煽れて、かつそれぞれがある程度PLの能動的行動によるものなので、そこそこに納得したかと思うのですがね。
また、最後のロイスシステムとの連動ですが、「ダークヒーローが絆を頼りに生きるゲーム」と書いている部分で、ロイスの存在そのものは肯定しているつもりです。
ただ、上記の「コンセプト」→「システム」順を追っていった場合、ロイスに繋がる侵食率システムを疑問に思った次第です。
やや言葉が足りなかったのは認めますが、連動しているシステムとはいえ、それらを分解して考えることが、意味の無いことと断じるのは早計と考えます。
>プレイ回数
5回くらい……? GMも限定一人ではないですが、やはり認識が変わりませんね。
●hodchiさん
ええと……はじめまして?
ファンタズム。アドベンチャーは変な算数だと思えば
面白いのではないかと(苦笑)。
投稿: ヘタレT | 2008年12月19日 (金) 04時26分
>「他のシーンで動きすぎ、重要NPCが居るシーンに出られない」
>「結局エンディングで、やりたかった日常を取り戻せない」
二律背反の状況をPLの力量でどう整合させるか
が「ゲーム性」と言うものでは?
ちなみにダブルクロスは一見して
「ラノベ再現してダイスじゃらじゃら振るだけの子供だましゲー」
に見えますが、実はやり込むとかなり奥が深いシステムです。
デザイナーの意地の悪さとゲーマーッぷりが透けて見えますから
是非、ルールブックの精読をお勧めします。
製作側にたった意見と言うならなおさらですね。
投稿: 通りすがり | 2008年12月20日 (土) 13時42分
はじめましてー。
>トーグ
なぜ出目を変換しているのか、どういう規則で出目を変換しているのか、を考えたりするといいと思う。図を書くんだっ。
あと、対数をダイス目合計でやろうとしたときに必要になるサイコロの数を計算するといいと思うのです。
>ダブルクロス
侵食値はゲーム世界内の意味とゲーム世界外の意味に分けて整理するといいと思うの。そして、「上手くやれるようになる」ことをポジティブに向かえるように配置された他の要素とかも大切じゃないかしらん。
投稿: アキト | 2008年12月20日 (土) 16時25分
●通りすがりさん
初めまして。ご意見ありがとうございます。
ただおっしゃる「ゲーム性」がPLの力量によってシナリオやシステムを攻略することを前提におかれているとするようですが、そこは一種の「慣れ」の要素が多分にあり、今回僕が取り上げている部分からは外れてしまうと思います。
ダブルクロスを相当やりこまれた方というのは文面から伺えますが、そうでは無い人間は、こういう印象を持つという一つのケースとしてお考え下さい。
また、最初に挙げていますが、システムに歪みを感じる、というだけで、ダブルクロスを楽しみ方、それを楽しんでいる人を否定しているわけではありません。
面白いコンセプトや、目を見張る部分もありますが、僕としては同時に引っかかる部分が強くあったシステムでもあるということです。
>ルールブック
ご忠告、ありがとうございます。こちらは確かに読み込む、というほどではないので確かにおっしゃるとおりです。
ただ今回はあくまで概観としてという部分での「コンセプトの再現におけるシステムの適不適」なので、楽しみ、やり込めればなんだって好きになれるとは思うのですが、その入り口段階の話だとお考え下さい。
●アキトさん
同じく初めまして。ご意見ありがとうございます。
>TORG
回数はPLだけとはいえ10回以上はこなしておりますので、変換図式はある程度わかっているつもりです。ただ、結局達成値を比べ、結果をコールするのがGMである以上、PL側の数字変換でプレイを停滞させる部分が引っかかる次第です。これも上記の「慣れ」で解消される部分ではあるでしょうが、もう少しスマートな方式を取れなかったのか? と考えてしまう次第です(追記:結局1個の20面ダイスの数値合計数を見ていくゲームで何故個数を考えろという指摘をされたのでしょうか? 少々気になりましたのでよろしければ教えていただければと思います)。
>ダブルクロス
語弊があるようですが、単にダブルクロス自体を好き嫌いを話して拒絶しているわけではなく「システムとして引っ掛かりを感じる部分がある」という疑問だしなので、おっしゃる意図はわかりますが、単に「ゲームを楽しめる楽しめない」というレベルでのお話をしているわけではありません。
整理できて、楽しめるのはいいことだと思います。僕自身、楽しいと感じた部分もないわけではありません。ただ、俯瞰で見るとシステムに違和感を覚え、そのわずらわしさに心からそうなれなかった、という解釈をしていただければいいと思います。
投稿: ヘタレT | 2008年12月20日 (土) 23時51分
初めまして、こんにちは。ご意見読ませて頂きました。特に印象的だったのは、クトゥルフとの比較論。
>クトゥルフの正気度のように、
>「異能を使う」「異能に触れる」「敵と遭遇する」
>などシナリオ中のきっかけで上昇する
これはダブルクロスでも起こりうる状況ですよね?そして「侵食率が足りないから倒しきれない」「ダイスを増やすために侵食率を上げよう。……まだ大丈夫」「エフェクトも使うか……?」等の会話がリプレイでも頻繁に行われています。そして「異能に触れる」「(最後の)敵と遭遇する」等で行われる侵食率の上昇といえば、『衝動判定』があります。
ただ、ご指摘の通り『シーンに登場する度にランダムで侵食率が上昇する』は、そぐわないと言えばそぐわないですね。ちなみにルールでの解説は基本ルールp.96欄外『登場による侵食率上昇』に書かれています。乱暴に要約すれば、『シナリオは必ずレネゲイドに関する事件である。そのシナリオが進むほど真相(犯人)に近付き、レネゲイド同士の共感能力がPCのウイルスを活性化させ、侵食率が上昇する』といったところでしょうか。
Tさんとしては、『シーンに登場する度にランダムで侵食率が上昇する』部分がなくなれば違和感はなくなるのでしょうか?多分これは、フリーズしがちな初心者でも、最低限の侵食率を確保してクライマックスに望んで欲しい、というデザイナーの意図だと思うのですが。
あとコンセプトの話ですが。「ダークヒーローが絆を頼りに生きるゲーム」は、概ねその通りだと思います。ただダークヒーローは、クライマックスの戦いに勝たなければなりません。だからコンセプトは、『ダークヒーローが絆を頼りに戦い、生き残るゲーム』ではないでしょうか。
投稿: 風見鶏 | 2008年12月25日 (木) 00時12分
はじめまして。
早速ですが、私の考えを言わせてもらいます。
どんなシーンでも侵食率が上がるのは
まず1つには、全てのPCに出番を回すと共に
残りのシーンを考えて日常パートを挟むかどうか等も
考慮してもらうというものでは無いでしょうか。
これはまぁ、多分疑問の解決にはなりませんよね。
二つ目。
クトゥルフは「みんなで怪物を見る」より「一人で怪物を見る」方がSAN的に得ですよね(1つの真実を知るのにサンチェックが少なくなるため)。
そう考えると、「異能者」の孤独(PCは異能者なのでいつも一緒にいると「日常」が違うものになってしまうから)を表現しているとも解釈できるのではないでしょうか。
SWのようにパーティ全体で動くとみんなが侵食値が上がって帰ってこれなくなるから、学生は同級生と話して日常を感じ、エージェントは一人で情報収集をするなど、それぞれが自分の人間関係を確かめ、「日常(ロイス)っていいね」といわせるものだと。
つまり、「異能者」では無いNPC(日常)に囲まれているシーンを作り出す効果、そしてひとりひとりがロイスを持っているコトを示す(個別にスポットライトが当たるため)効果を狙っているとすればしっくりくるのでは…と思います。
思いつくままにいってみました。
参考にしていただけたら幸いです。
投稿: K | 2008年12月25日 (木) 20時05分
>例えば、アルシャードガイアだと、“日常と非日常の境界”はルールでシステム化されているものじゃないから、PCが人間離れした特技を身につけていっても、簡単に日常に帰ってこれちゃう印象を与えるのよ。
>んで、それを意識した瞬間、急に日常の価値が下がるんだよね。
これはすごく変な意見ですぞ。だってそもそもアルシャードガイアは非日常の世界から日常の世界に帰ってこれるかどうか、というスリルを満喫するゲームじゃない。
ガイアの非日常は日常とかなり地続きでしょう。ぶっちゃけ学校の部活に魔法部とかあるぐらいには。
ダブルクロスを擁護するのに、他のゲームを否定しなくちゃできないようなら、そんな擁護はどちらのゲームにとってもはた迷惑な話じゃぞい。
投稿: ふでまつり | 2008年12月25日 (木) 23時17分
通りすがりですいません。面白い視点だとは思えたのですが、いくつか疑問が残ったので。
シーンに登場するだけで上昇するというのがおかしいということですが、PC達はシーンに登場するごとに、非日常に足を踏み込んでいるのではないでしょうか?
クライマックスの戦いまでのシーンは主に「非日常の対象であるセッションでのラスボスの情報を知る」ために発生するのであり、そこに出る事で「非日常である敵に近づく」事になります。
PCは最後には「日常に帰る」事が目的なのですから、「日常が脅かされない限り、ラスボスの情報を知る必要は無い」はずです。それに反する行為ですから、侵食率が上がるのはコンセプトに対するシステムとしてもおかしくはないかと。
その上昇量がダイスに左右されるのがおかしいとの事であれば、それは「格PCによって非日常に踏み込むと感じる度合いが違う」と考えればよいのでないかと。
それから、「敵にロイスを結んで即座にタイタスにして昇華」というヒーローポイント的な使い方は確かにシステムと設定の乖離に見えますが、DXは「ロイスの全体枠」が決まっています。つまり、パワーゲームとしてロイス枠を消費すればするほど、PCのロストの可能性も高まります。単セッションによるPC使い捨てなら関係ないかもしれませんが、セッションでは重要な要素となります。
「シーン」の使い方としてはこちらの「ロイスを結ぶ」=「日常との絆を深める」ということで発生するものもあり、それは「非日常に赴く覚悟」と言う設定を示すものではあると思います。やはりこちらも「非日常に近づく」の変種であり、侵食率が上がるのはおかしくないのではないかと。
また、ほとんどのゲームで、「シーン」に出ているキャラクターが多いほど、やれる事が多くなり、PCに有利になります。そこで「シーン」に出てくるキャラクターをどのようにコントロールするかというのは、『同一時刻にパーティーが二つに分かれているため』などの方法しかありませんでした。
しかしこのゲームでは、個々人の侵食率上昇があるため同一時刻にパーティーを分ける必要が無くてもプレイヤーが「自発的に」PCをシーンに出さないということが出来ます。
これを「非日常に近づかないようにしている」という設定と見るのは、それほど無茶でしょうか?
つまり「シーン」は登場する回数が多いほど「非日常に足を踏み込んでいく」と言う設定であり、そのシステムの再現で「侵食率が上昇」する。「シーン」で異能力を使えばさらに上がっていく。
戦闘シーンでは、侵食率が高い=非日常に踏み込んでいるほど、力が強くなる。
そして「ロイス枠」が「『日常の絆』がPCを非日常から日常に戻す」という設定をシステムで再現している。逆に、日常から非日常に踏み込む=ロイスをタイタスとして昇華することで、日常から遠ざかる=ロイス枠の消費というシステムで現されている。
以上。
システムとコンセプトにそれほどずれがあるようには思えないので、コメントさせていただきました。
乱文、失礼いたしました。
投稿: リプレイ読み | 2008年12月26日 (金) 09時07分
何度もご意見をいただき、ありがとうございます。わたくしは平日は昼から夜間にかけて仕事をしているので、腰をすえて拝読する余裕がなく、レスポンスが遅れた旨、まずお詫び申し上げます。
●風見鶏さま
ご意見拝見しました。ありがとうございます。
>衝動判定の要素
この点は確かにその通りです。
ただダブルクロスにおいては、シナリオにもよると思うのですが衝動判定や能力によって侵食値が上昇する機会よりもやはり、シーンに登場することでの増減によって上昇ダイスを振る機会のほうが回数も多く、ゲームの印象として比重が偏るのではと思っております。そうなると「増やされている」感があり、言い方が悪いですが鼻につきまして、やはり気になるところです。
>侵食値上昇の違和感
概ねそこなのですが、上記の点を踏まえ「上がっていってしまう」という焦燥と追い詰めより「上げられていっている」という一種強引な印象があるというのが、一番違和感を覚えているところです。初心者を意識したデザイナーの意図、とおっしゃいますが、そういう印象を受けているわたくしなどもおり、且つ先に記したとおり、その初心者さんがダイス運で活躍できる、できないが決まる可能性をもっているというのは、少々納得できかねる部分です。
>コンセプト
ありがとうございます。しかしルールブックを読みましたが、ジャーム化した際のエンディングまで詳細にフォローされているのが気になりました。生き残れない可能性もあるゲームというのは、やはり初心者にやさしくはないでは、と思ってしまいます。
●Kさま
ご意見、ありがとうございます。
一つ目に関しては、逆にロールプレイの幅を狭めると解釈もできるので、おっしゃるとおり、あまり解決にはなりません。
二つ目に関して、やや疑問があります
クトゥルフの数値的なシステムの捉え方から、ダブルクロスのシステムの肯定に移るのは、少々強引ではないかと。その優位性はクトゥルフのシステムの上に成り立つものであって、同じことをダブルクロスに当てはめ、PCの非日常性の理由とするのは、ややずれているように感じます。
「特殊な個人」を作り出せばよい、という意図は読み取れるのですが、それをする上で、侵食率などのシステムが必要か? というところに論点があります。正味な話、おっしゃることはアルシャードガイアやナイトウィザードでも十二分実行できることと考えます。
●ふでまつりさま
ご意見ありがとうございます。
Dさんへのレスのようですが一応わたくしからも補足的に申し上げれば、アルシャードガイアも日常と非日常の境は無いわけではなかったはずです(結界など、いくつかの部分で補足されていた記憶があります)。おっしゃる魔法部もオカルト研に近いニュアンスだったと記憶しています。
あのゲームの場合は、システムをベーシックなものと確立して派生させる(風の聖痕など)という別の要素があったゲームなので、「アルシャードガイア」単体で見た場合、確かに背景的側面はあやふやな部分が多いとは思います。なので、ダブルクロスほどはっきりと区別されているという印象は薄いですが、それでも少なくとも「非日常に足を突っ込む」ゲームであり「日常への帰還」がPC1命題(ハンドアウト)となることはままあることだと思います。
●リプレイ読みさま
名の通り、リプレイからの感想でしょうか?
ありがとうございます。
>シーンにおける上昇
わたくしが読んだルールブックでは、風見鶏さんのおっしゃっているような設定部分に「レネゲイトに絡んだ事件のため~」と解説があります。
ここは解釈の違いが多分に入ると思うのですが、それが説得力を持つか? というと、あまり自然ではないかなぁ、と思います。
極端な話、リプレイ読みさんの意見は、あくまで設定・背景解釈の部分だけのもののように感じます。PC、もしくはそれを動かす側に立つと、齟齬が見える部分があると思うのです。
例えば。シーン頭で侵食率が上げつつ日常シーンを続ける場合、おっしゃる解釈だとキャラクターは「異常に気がついていながらそれを野放しにしている状態」ということになるでしょう。シナリオにもよるかもしれませんが、この状態が不自然になりえるケースは多く存在すると思います。
また、シーン上昇のランダム性を「各PCの非日常への介入度」とするのは一見綺麗な解釈ですが、例えばシナリオ上重要なキャラに出会うシーンに複数人のキャラが居合わせた場合、キャラによって、その介入結果がピンキリというのはシナリオから考えるとやはり不自然に見える部分は多々あるでしょう。特にPC1のダイス目が1だったりすると、おっしゃる理論では「え、重要だってキャラは思わなかったの?」ということになってしまいませんか?
また、何度か書きましたが、初心者PLが大きな目ばかり出してしまって、セッションに支障が出る場合もあるでしょう。同じく、やや前後しますが、おっしゃる「シーンコントロール」がその要素の多くをランダムにゆだねているのであれば、出たいシーンに出られない、もしくは出たくないのに強制登場させられる、ということになった場合もあると思います。このあたりはどうお考えでしょう? リプレイ読みさんがGMだった場合、「介入度の違いだから」の一言で、PLたちを説得できますか?
またシーンに出ないことの理由「非日常に近づかないようにしている」という解釈は、ロイス部分の「非日常に赴く覚悟をロイスで強める」行為と矛盾しているように読めます。
ロイス、タイタスの使い方に関しては私は意見を述べておりませんので、お返事を控えさせていただきます。またシーン内にロイスを結ぶことは肯定しておりますので同じくですが、そこで侵食値が上がるのが適当か否かは上記のシナリオ的なかみ合いから見て不自然になりえるケースが多々ありそう、とだけ書いておきます。
以上。
ルール、リプレイなどをよく読みこまれているという印象はうけるので、そういう意味では恐縮なのですが、設定などから理由付けし、独自の解釈をするのは簡単です。
ただそれが実ゲーム中にルール・演出面でしっかり機能し、ダブルクロスの世界を引き立ててくれるかは別問題と考えます。その上でわたくしは、侵食値システムがそれに相応しくないのでは、と疑問を投げかけている次第です。
もちろんこれはプレイ環境によっても変わってくるでしょう。
本当に慣れた方ばかりで解釈が通じているのであるなら、リプレイ読みさんのやり方でもいけるのでしょうが……。
投稿: ヘタレT | 2008年12月28日 (日) 02時59分
どうもです。
まあ、侵食値ルールは、当時導入されたばかりの登場判定というルールによって助長された、「声が大きいでしゃばりプレイヤー」抑止のために後付されたルールという感が拭えないので、違和感を感じられるのはある意味当然のように思います。
あとまあ、日常/非日常という対比で、非日常に関わるから侵食値が上がるという後付設定が有効であると考えるのなら、「日常シーンでは侵食値は上昇しない」というルールを付け加えるとしっかりコンセプトと合致したルールになると思います。
まあ、そうするとクトゥルフの狂気ルールと同じじゃ~ん、ていう感じもしますがw。
それでは
投稿: 紙魚砂 | 2008年12月30日 (火) 11時49分
●紙魚砂さま
コメントありがとうございます。
なるほど……後付けルール、ですか。
すいません、流石に時間的余裕がなかったのでシステム形成の経緯まで追いきれていなかったのですが、どこかにソースはありますでしょうか?
ともかく、そう考えるとしっくりきますね。確かに登場判定制をそのままにすると、必然とそういうことはありえるでしょう。現在は経験値の分配やGMへのルール的裁量指示(シーン数合計の少ないPCにシーンプレイヤーを優先させる)などがありますから比較的緩和されたのでしょうが……。
>ハウスルール採用
まあ、コレが多分僕の疑念の万事を晴らしてくれそうな気がします(汗)。自分がダブルクロスのGMをするとしたら、この方式にするでしょう。
クトゥルフとは確かにシステム上近くなりますが、最終目的やそこへ至る過程がまったく違うゲームなので、差別化はできると思います。
とはいえ、やはりオフィシャルで指定されているルールにこだわる人はいそうですし、そのあたりは大丈夫かという懸念点はありますが。
投稿: ヘタレT | 2008年12月30日 (火) 19時51分